これを見てからずっと葛藤しているわけです。
脱!自己中 主語を入れ替える全員目線の練習
コメント欄から引用。
私は最近、穀物を食べるのがしんどくなりました。
おにぎりにしたり、甘酒や味噌として発酵させたら大丈夫なのですが、
やはり穀物は種=命なので、植物であっても
命を奪う食べ方が合わなくなったのかもしれません。その点果物は命を奪わないし、実は野菜や野草も
必要な分だけ採れば命は無くならないですよね。畑のレタスは必要な分だけちぎって食べれば、
長いこと楽しめますが、商業的な農業では
丸ごと引きちぎるから野菜は死んでしまいます。
少食は慈悲というのはまさにこのことですね。そういう観点で言えば、不食になった人が、
肉などの動物性食品
↓
米や豆類など穀物
↓
野菜
↓
果物
↓
不食という順番でやめていくのは理にかなっていますね。
そう、葉物野菜、根菜類とかもそうです。
種がないものは基本的に、収穫すればそこで殺害になる。玉ねぎは保存食としては有用だなと思ったものの、このコメントを見てハッとさせられ、そうか、そうだよなぁと思って、今育てている玉ねぎを見て考えさせられました。
ほっといても枯れて収穫せざる得ない。つまり、発芽した時点で有限の命だけど長いか短いかだけ。
そんなこと言ったら何もが食べられないだろ!と思われるんですが、そうなんです。
基本的に人間の主食としているものは殺害した結果で食べているものばかりです。でも、芋はちょっと違うかな。種イモがあるから。種イモ、種生姜とかは、ベースとなるものが残れば違うかどうか。そう考えるとギリギリでokということになる。来年用の種にすることもできるし。
殺害せずに食べられるとしたら、種があって果実を食すものとなります。
ナス、ピーマン、トマトといったものは種を残すために実を成らせて、地面に落下して果肉が弾ければ種が出てきて自然発芽、来年の新しい命となります。
ナス、ピーマンは多年草。
簡単に処分せずに冬越しすれば来年も楽しめるし、そういう意味では自分は何かを感じ取っていたのかも。ミニリンゴの果樹苗を買ってみたり、なんかあったんでしょうね。
果樹系は理に適ってるわけです。で、そうなるとあんまり食べられなくなるから結果的に小食、最終的に食べても食べなくてもいいってレベルになれば、何も犠牲にすることもないんでしょう。
それこそ聖人クラスの人間になると。
こう、食育とかそういうものでもみんなで議論したりすれば、何か発見がありそうなんですがね。そういうものの方が興味があります。
でもね、葛藤していた原因はさらに増えてこっちなんです。
植物は声を発している。
干ばつでも悲鳴を上げ、切断でも悲鳴を上げる。
つまり、収穫時の切り取りでも悲鳴を上げているのか?剪定することで株の負担を軽減して成長を促進させるものも悲鳴を上げているのか?という疑問です。
…そうだったら、これはこれで人間自体がもはや罪深い生き物ということになり、人間は植物の声が聞こえなくてよかったんだなと思いました。
多分、痛みが分かる人間が聞こえたら、耐えられないでしょうね。
植物自体、羽音が聞こえると花粉を運ばせようと動きを出すというのもあります。ハナアブやミツバチの羽音で反応するんです。
そして、植物に声をかけたり音楽をかけるというのも、植物にとってはやはりいいことなんだろうと思います。
あぁ、そう考えると分かり合えればどうしてほしいかも分かるでしょうし、簡単に廃棄とかも難しくなるでしょう。こういうことがあるって知ったら、簡単に植物買い続けるとか考えるわけです。
育てきれないのに買うって、命の無駄遣いをさせてるってことだよなぁって…。
反省と、考えさせられることばかりで、知らないといけないことだったんでしょう。
そういう意味では、何も感じない狂人の方が生きられる世界なんだとよく分かりました。
色々と優しくない世界ですよね。
動物は自然なので、不自然なものはノーセンキューだそうです。
人間の自滅まっしぐら。何も感じない人間ほど死にやすい。
動物みたいにこういう世界の方が望ましい。
これ見ても、まだ肉食だ、動物は自然では生きられないから食べるしかないとか思ってるのは、マジで狂人だな。
こういうさ、みんなで議論するような場とかあったら、考えるだろうにね。
子供と話すというのも食育だし、どうしたらいいか考えたりするのも面白いと思う。
自分に子供がやってくる機会があるかどうかは知らないけど、ひたすら考えさせられるわけです。
このままでいいわけがないって。
みんな生きてるんだよ。
豚だって、猪の品種改良だし。
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