精神性

起きる物事を観察してみるということ

精神性

たとえ話。

本当に大人だったら、子供が何をしようが何も反応しませんよね。
子供が中指立てて「クソ!」とかやってたら、大人も同じように「クソ!」ってやったら、子供はどういう反応をするかは、子供のレベルを確認する意味ではやってみると面白いかも。精神性が高かった場合はドン引きされるでしょうが、親子の仲は深まるかもしれません。一方的な教育でしかない親より、ユーモアがあった方が面白いから。

人の子の親なんて大したことがなくてもなれますからね。ただのケダモノでもなれます。子供に対しては常に知ったかぶり、自分は賢いフリをしていれば。
そんなのが親面して、子供が成長してきた時に「ウソ!? うちの親、馬鹿すぎ!」って思うわけですから。目が覚めると正体を見抜かれ、反面教師として決別を言い渡される。

ちょっと脱線しましたが、本当にブレがない人だったら何を言われても動じないってこと。
だから相手がどんなに喚いていようが、本当に大事なことしか言わないってことです。そこをどう感じ取れるかどうかが問題。必要以上のことを言わない、それで察しろということ。

潜在意識が生きろって言われているのに、顕在意識の自分が喚いていても、潜在意識はそれ以上のことは言いませんでした。

そこで気がついた。「あ、これだと何も分かってない子供と同じだ」ということに。

それを感じ取れるかどうか、何か降りてきたら、それがどういうことなのか考えられるかどうか。


今年に入って、少ししたら明確に調子が悪くなって色々と調べたら「あ、これは死ぬやつか」と思いました。
ホルモンバランスの問題もあれば、自律神経が死にかけてた。ホルモンバランスが出なくても人は死ぬし、成長ホルモンは体の機能維持を持っているので。それが機能不全になったら死ぬ。

病院行ってもこの類は対処療法のみです。
根本原因をどうにかしないと無理です。病院が大好きすぎて結婚したい人は絶望してください。カネだけ取られ、結婚詐欺のようなぐらいに搾取されても治癒できない。そんな詐欺医療で満足する体たらく。

明確にこの辺りが機能しなくなってて、さらには低血糖症状も引き起こして食べても空腹を感じたら途端に体調が悪くなったり。この辺りは自律神経の影響が大きかったんでしょう。

その時に、「死んでもいいか」と思っていましたが、動画とか見てても生きろという内容ばかりが入ってたりでなんというか、死ぬなって言われてるんだなと気づきました。それが分かってから生きろという内容は止まりましたので。
根本的に状況が変わらんなら死んでもいいが、そういう意味でも生きろって言われてるだけ。それ以上のことは何もない。何も言わない。最高のものは最高のタイミングでやってくるという言葉があるように。

海外の同人作品とか扱ってるサイトで100ドル近いチップを貰い、「自分でもこんなのが貰えた。もう満足だから終わりでもいい」とは思ったものの、ある意味で経済的にきつかった状況の足しにはなりました。
遠回しに、タイミング的なご褒美か? 自分の場合は結構ピンチの時とかにこういうことがあったりします。

そういう状態で潜在意識を無視して顕在意識の自分が死ぬだなんだと言っていたら、本当にその辺にいる馬鹿と変わりがないっていうこと。本当に恥ずかしい…。これに気づいたらそういうこと。
わがまま言ってても許可されない、これ以上何も言わなくても分かるだろうから何も言わないっていう潜在意識のスタンスなんだと思います。

生きろと言われた以上、今はそれをやるしかないわけで。何も感じ取れない人はこのメッセージはスルーされて病んでいったことでしょう。その状態で勝手に自殺しても好きにしろという感じで。

潜在意識自体、明確に説明するように伝えてくるわけじゃないんでしょう。それだから断片的な何かだけが降ってくる。それで察しろと。この世界はそういう風に阻まれてる何かがあれば、精神性がないと気づけない。

まあ、現状でも下手したら死にますけどね。
家族が馬鹿すぎるのもあるし、馬鹿と関わり続けていることで常時ストレスがかかっているので。表面上は平気でも血管の負荷が相当なもの。

突然死の方が、体液が出るような悲惨な死じゃない分きれいだからその方がマシと言えばマシだけども。

死にかけたことで、このまま死んでもいいとは思った。

しかし、寝ようと思って布団に入って、ふと降りてきたのが「生まれてからずっと寄り添っていたのが死」ということ。
生まれた瞬間から死も誕生している。常に生きている間は寄り添っている。


なのに、死を恐怖している人は死を遠ざけようと必死になる。寄り添っているのに、それを忌避、忌み嫌う。
それをされたら、された側はどう思うか?
それでも何も言わずに死はそこにいるだけ。何もしない。死が何かやったから死んだとか思われるけど、それは違う。寿命が来たか、自分の手で死が差し伸べていた手を取っただけ。

そう考えると、死自体もやっぱり優しいよなって思いました。何も言わずに何があろうとも、嫌われようとも寄り添う。孤独なようで孤独じゃない。見えないだけ。
そういう存在がこの世界には大量にある。

死という存在がなんなのか分かったら、翌日から体調が回復しました。気づくために状況が作られたのかもしれない。これが浮かんだ時点で今夜死ぬかもしれないとは思ったけど、生きてました。
まだ不調は部分的に残ってはいるけど、現状維持可能なぐらいには回復してます。ただの中治りだったらここからまた急落しますが、それはそれでもう分かったから学びが終わったということです。

夜間の低血糖はまだ改善しないけど、MCTオイルで夜間以外は安定してます。
自律神経はまだダメなようで風呂入ると汗が異様に出てしまうので。

あと、寒さでもかなり反応してるようで、そのせいで体調の前後幅がすごいですね。
部屋を閉め切れば冷気を凌げるのにそれをしないせいで日中も冷えまくってる状態だと、夜になるとおかしくなる。親に殺されるわこれ。馬鹿は風邪引いてて暖かくすればいいのにそれすらしない辺り、完全に嫌がらせ。人を見下してるからそれができる。


そのうちレビュー予定の「問題は解決するな」の本ですが、裏面にこんな言葉があります。
この本自体は今読み返しでタイミングでパラパラめくってます。見る時で意味合いが変わってくる面白い本。タオ道という、極めるのが難しいものだからこそ腑に落ちるというものこそが危ない。

自分に起こったことだから、
「どんな問題が起こっているのだろう」と見ることは大事です。
でも、自分が何をすればいいか
分からなくなったら、何もしないことです。
来るべき時が来たら、物事は動きます。


体調面でも何か起こってはいたけど、やれることや手元にあるもののみで対応。
根本原因の対応は現状どうしようもない、何もできない。

そういう状態だけど、必要があれば動くんでしょう。いや、どう考えてもこの状況で留まってたら死にますからね。周囲が勝手に自滅していくなら死ぬ可能性は減りますが。

解決する方法が分からんなら、とりあえずやってみたいことや興味があること、人にも会いに行ってみる。
解決に向けての行動はしないけど、他のことをやると。そういう行動が他に繋がっていく、のかもしれない。

本の中ではひたすらクマのように寝ていたという内容もあったわけで、それでもいいんでしょう。自分の場合は寝てたら突然死する可能性が極めて高く、それすら難しいわけですけど。
自分は開き直って、一部で馬鹿方向に吹っ切りつつ、偽らない、やりたいことをやる、行ってみたい場所があったら行ってみるとかに切り替えました。絵描きでも、思ってることは躊躇なく言って嫌われに行く。刺さる奴には刺さるだけで、徹底的に嫌われるように行動する。

自分程度の努力で何か変わるなら、他の奴らなんて大成功してるよね。そう考えたら、自分が自立できるような状況はやってこねーなとは思いましたが、それは置いておきましょう。
この現世においての成功なんぞ意味はない。成功という定義自体が曖昧。

でも、死にかけたことで家族が自分のことをどう思っているか、今までどうだったかに気づけたので、必要なことなんでしょう。
さらには、「人に勝手に期待し、勝手に失望する」という社会構造、それすら嫌なんだなと分かりました。基本的に、どいつもこいつも自分を見下していた。それ以外の一部だけはそんなことはなかったけど、その一部は1割でしたね。

嫌なものは嫌だ。逃げられるなら逃げるだけ。
これは「問題は解決するな」の中にも書いてあります。逃げてもいい。どいつもこいつも勝手に期待して、期待外れだったら勝手に失望した顔をする。とんだ迷惑野郎だ。

さらには見下す。見下してる奴は見下される。
嘘だと思うなら試せばいい。


死にかけたのもあれば、死んだ方がマシというのもあれば、外側のことがどうでもよくなりました。
SNSの気持ち悪さ、今何が起きているとかどうでもよく、極論言ってしまえば「すべてが茶番だから誰が何をやったかなどどうでもよい。知らなくても茶番だということは分かる」ということです。

結果的に一部は翻弄されて踊っているようですが、その程度で踊らされているということはその程度。
そういう情報で分かったフリの暇人だということです。大谷ネタもそうだし、トランプネタでも同じ。見せられてることだけで分かったフリをしている暇人。

名探偵コナンのようなのは外側に任せつつ、何をどうしたいか自分に問い続ける。
やってみたいことが出てきたら動けるか検討してみる、何かありそうだと思ったらそこに行ってみる。

それぐらいしかもう考えてません。SNSも気持ち悪いから、一部の人だけ見てれば十分です。
気になることがあったらそのワードだけで検索し、それを調べるだけで事足りる。ダックダックゴーでは出てこないヒントとかもありますからね。

総合的に見ていくと、何か変化しようとしているのもあれば、昨年末に「生き方を改める」という言葉がふと出てきたのをきっかけに物事が動いています。
何かやった後に物事を観察し、「これも必要なことだったか」と認識してみたり、直後で観察するようになりました。どうしてそれをやったのか、見ていくと答えが見えるようになります。

必要でないものは捨てていく。
今はそれでいいんでしょう。間違ってたらなんか違和感というか、また何かしらでメッセージとして出てくるだろうし。

観察することは大事で、何をどう感じるか。
観察が足りてなかった。

今まではこれ。


問題が起きた→感情→対処


最近は合間に観察を入れて様子を見る。
物事を観察するという意味と、ほぼ人間観察のようなものになってるので、対象の人間が今どういう状態かをよく見る。


問題が起きた→感情→そのことに対して観察→対処→さらに観察→結論を出す


というように、やっていけば何か見えてくるのかも。
とにかく観察の時間を取る。

そうやってたら、親が何かに憑かれていることに気がついたわけで。
動物霊か? うちの家系は何か変なのに憑かれているのではないか? 基本的にサイコパス化してるのみんな同じ感じになってる。外側の奴らも何かに憑かれてるのもそうだけど、猿山の大将やってるのも基本的にこれ。

いずれにしても、観察という過程は重要だなと感じます。
場面においても解釈が異なるし、その解釈の仕方も幅広い。人に話せばその解釈は別物になるからそれはそれで面白いと思うし、話のネタとしての遊びには使えそうですね。

外側には何もない。
般若心経の現代語訳。何かあった時はその状況を観察してみよう。


細けぇことはいいんだよ。
心配すんな。大丈夫だ。

外側に注目させようとしたり、騒いでみたり。忙しいことこのうえない。
そうやってるの全部餓鬼だってことです。餓鬼畜生が騒いでいるだけ。

この現世は現実に見えるだけのVR世界です。
馬鹿ほどカネカネ、あるいは名誉だ、成功だと騒ぐ。それがどうした? 食えたとしてもクソの足しにもならんではないか。排便障害になってるようでは死ぬだけだ。

悪霊が邪魔してるなら、その悪霊すら殺してやってもいい。霊体だから平気だと思ってるなら、その身をもって後悔させてやろう。


状況が状況だけに、SNSでギャースカや戯れてるわけにもいかない。
気になることや興味があることは行ける範囲で行動した方が良さそうだと感じます。そういう意味でも「生きろ」と言われていて、この言葉の意味を考えるに行動の先にある何かが重要になってきそう。

何もなければいいけど、何かが起こる意味でこの言葉だったら、悔いがないようにしろという意味にもなる。
こうもなんか動こうと思ってる辺りが、個人的に意味深を感じる。
引きこもりの人間が動こうとしているという時点で。

意味の観察自体もしつつ、自然とシンクロが起こると考えてることが目の前に映っていたりと、シンクロの頻度が上がってきたらまた考えると。

外側のことに夢中になっても仕方ない。
馬鹿なアイドルに夢中になる、テレビに夢中になる、英雄や救世主に夢中になる。すべて無駄。

そうやってる奴ら自体、観測されているということを考えると末路は想像がつくわけです。
そうやることに対しての観察もしてくと、部分的には良くても引っ張り込まれるほどのことではないという結論にすべて辿り着く。社会構造自体がつまらない。

地球は宇宙の一部。宇宙は無限。360度あらゆるところから物事が見えるのに、それを欺いてまで何かやれるとは思えないんだけど。人間ごときの考えや、5次元以下の存在程度の考えは子供以下だと思う。

観察することによる練度を上げれば、何か見えてきそうです。
それぐらい、この現世がクソすぎてつまらないんだけど。暇つぶしがカネ、欲、愛憎とかもうね…。愛憎とかは特に、クソくだらないドラマに夢中になる要素で現代人が特にダメになってる部分。

情報を過度に追いかけるのもくだらないし、何かに騒いでいるのもくだらない。
自分はどういう存在と生きたいかをひたすら考え、その答えが出たらそれ以外はもうどうでもいい。それ以外は確定で死に至るから。

これとか、その典型。許可? 結局外側依存かよ。こういうので一喜一憂する暇。
というか、高次元だったらそんな許可なしに惜しい存在だったら助けるよね? その時点で矛盾が生じている銀河連合(笑)という存在。許可待ってたら惜しい存在はみんな死んでるよ。


しかも、画像の人物は誰が見たのか知らないが、変な崇拝者が持ち込んだ画像か? 白人型が多いようです。その時点で、必ずしも人の形をしていたとしても人間の馴染みのあるものではないと何故分からないのか。
これがSNSでの戯れってやつです。

許可がいるって考えているのは、それは人間だけの考えです。
他の存在はそんなもの考えてない。許可なんて誰が考えた? 人間が勝手に考えた常識だ。

さらに言うと、彼らは「アミ 小さな宇宙人」を間違いなく読んでないでしょ。
本物には無視される要因がここにありますよ。

「もどってきたアミ」第7章 地球救済計画の司令官|宇宙log



まあ、これは観察するほどの意味もないですが、例えばTBSというKBSになってるテレビがあります。
奴らはしきりに偽物の愛を刷り込もうと必死になって偽物の恋愛ドラマや恋愛ソングを特集します。これを観察するとどうなるか?

結果的に、「上っ面で愛を言ってるだけ」という結論になるだけで、まるで夢中になる要素がないということ。大根役者の人間を見て、それで感情を動かされるとかあり得ない。「愛=好き」みたいな感じの脚本でしかなく、愛を言葉で表せるほど単純なものではない。
奴らを見ていると背後の利益が透けて見えるから感情移入できない気持ち悪さ。

基本的に今の時代、ほとんどが無駄って思えることだらけなんですけどね…。それに気づいて虚しさを覚え、どうでもよくなったら捨てるんでしょう。
本当、そういうのが今ギリギリで踏みとどまってますが、次で捨てる時になったら手に取ってもまた捨てるっていう繰り返しになりそう。

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