今日あった出来事をお話しましょう。
例えば私は今日、「家の屋根裏から壁から家中を掃除しよう。それには高圧洗浄機が要る。車も洗えるし。」ということで洗浄機を買いに行きました。
そして、その帰り道でうちの奥さんが見つけました。パラグアイ人がホースを持って屋根の内側を洗っている。。。うちの奥さんいわく、「あり得ない。」
確かに私も今まで一度も見たことがない。
いつも我々は言っています。「汚いなー!」
そのくらいパラグアイ人っていうのは、庭の落ち葉の掃き掃除は毎日使用人を雇ってでもするが、ペットボトルを庭や道にポイ。煙草吸ったらポイ。食べた袋や紙はゴミ箱が目の前にあっても道路にポイ。
非常に我々は矛盾を感じます。これ、普通に考えてありえないと思う。
掃除を毎日する人間が、なぜゴミをポイできるのかわからないと思いませんか?
私はよくゴミがあったら拾ったり、道路に石があったら車を止めて除けたりする。木を除けたり。他の人の邪魔になるだろうと思って。
たまにパラグアイ人が俺の行動を不思議そうに眺めている。「そんなことするんだ」と。
そういう時はふくろうも胸をはって「やるんだよ!」と相手に心で言ってます。
確かにふくろうは悪口言いますよ。「あいつらだったらどうしようもない。」でも、どこかでこういう姿を見せると、彼らに通用すると、自分がやればいいんだと思っています。
今まではこういう行動を「小さな運動」みたいな言い方で言っていたと思う。
でも、ふくろうにとってはこれは小さな運動ではなく、「大きな運動」だ。
これが世の中を変える。
どこかで火をおこすと、別の場所でも火はおきる。ここで統計学がでてくる。
1人の人間がやると、なぜか他の人も同じことを考える。1人が考えると1000人の人間が同じことを考える。これが統計学で出てくる。でもこれが統計学ではなくて、真実学なんだよね。
火も同じように一人の人間が「これは素晴らしい」と思った時に、それが皆に伝わっていくんだよ。その時の自分、初めて火をおこした自分、創造してみてください。
「うわー、これをみんなに伝えたい」じゃなくて、「わー!なんと!きれいだ」と。
これが伝わるエネルギーパワーみたいなものだと思う。
今、皆さんは次の段階、どうやったらそういうエネルギーみたいなのを出せるのか、その実践に入らないといけない時がきているんですよ。
なんとなく感じる何かはある。
やっぱり、自分にとって美しいと思えるものは伝えた方がいいんだなと思いました。
もちろん、伝えるという意味ではなく、「これ、美しいよね」とかそういう感じで。
花もね、やっぱりきれいだよねって。
今の時期はオステオスペルマムとかが出回り始めているようだし、本当にきれいだと思いますよ。
スノードロップかな。去年は咲かなかったけど、今年は掘り起こし漏れで残ってたのを急遽植えたけど、春を告げる花か。
ネモフィラも、ビニールかけてたら一輪咲いた。
きっと、そういう表現したものとかにエネルギーが乗るように、何かやるような時期なのかな。
人間の気持ちは人間にしか分からないし、ケダモノには理解不能です。
そういうのはほっといて、とりあえず行動するしかない。馬鹿でも見様見真似で何かするようになれば儲けものです。そこに期待はいれちゃいけないけど、見様見真似で何か始めれば何かを感じ取ったということ。
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