日本でツインフレームと検索すればツインレイと埋め尽くされてゴミのような記事まみれで美化され、本当の意味での苛烈な内容は一つも出てきません。
海外ならまだまともだから見れる記事と分かる記事はあります。
が、残念なことに語られていないことが一つあります。
それは、「当人たちの精神性がどれほど成長したのか」ということです。
これがないんですよね…。葛藤した結果、再度出会って結ばれました、終わり。それだけです。
そういう統合の話が一般的でした。
自分が知りたいのは、その果てで当人たちの精神がどう変わったのか、そこです。でもなかった。
当事者の自分と同じ心境はいたのか? それが知りたいんです。魂が前面に出て生きている人間はいたのかということが。
そして気づいた。
感情自体がプログラムでしかないということに。ツインの関係自体も、感情のやり取りですから、プログラム性です。
それに気づき、先に進めるか、主題はそこにあるんでしょう、それに気づけることができるかどうか。
自分は「例外」という存在で生きてきた存在です。
その果てで気づいたのは「ただ在る」、それだけでした。
個人変容の記録。魂は存在する。
なかったから、自分で語るしかないんだなと思いました。
なお、自分の場合は大体2ヶ月ぐらいでこうなってます。根本的に、感情ドラマは無駄だと思っているから、嫌なものは割り切って捨てます。他の人は数年とかかかると言われているのに、何故か異様な速度で変容を起こして現在に至ります。
ちなみに、ツインフレームのタイプはパターンで存在していますが、通常の感情ドラマが発生するのは契約型のツインフレームです。自分のは魂同士でやり取りしている感じがあるから共鳴型です。だから、感情ドラマは極力少ないです。
初手から何かがおかしい状態でした。
見えない領域化で何かが動いているから、やり取り自体がおかしな状態でした。
まるで、自我を使って何かをやっている、過去の果たせなかった何かの再演のように。
相手のツインフレーム自体が、自分が一度目に死ぬかどうかの直前ぐらいでもう生まれることが確定している状態だったため、その時点で一度目の死亡回避が発動。
二度目は動画を見てても生きろと言われ続け、他の人を使ってまで生きろと言われ続けて二度目の死亡回避。その後、ツインフレームとの出会いになってます。出会わないで終わるための人生ではなかったということです。
では、結論から言うと、自分の場合はこうなりました。
魂が前面に出てしまい、自我と魂が並んで歩みを進めている状態、自我が引こうとすると魂側が悲しむという状態です。
そして、ツインフレームの相手については、結局うまくいこうがどうなろうが、どうでもいいんです。
自分の変化はこんな感じです。魂主体です。なお、相手は認識してませんし、物理的接触は一度もありません。
仮に偽物だったとしても、ここまで変容した時点で本物だという根拠です。
【魂面の覚醒】
- 相手との接触後、魂が叫ぶようになって感情が瞬間的に乱され、エゴが燃え尽きる。「彼女がいい!」と言っていた。
- あるタイミングで自問自答していたら、無償の愛、永遠の愛という言葉遊びで自分の魂が前面に出てくる。
- 永遠の愛という言葉は結婚式でもあるけど、意味合いが異なることで涙が止まらなくなる。
- 魂同士が直球でやり取りしている描写、宇宙で一緒に寄り添っている描写で涙が止まらなくなる。
- 魂が作品のシナリオを作り上げてから、シナリオ構築の仕方が変わる。
- 魂が本体だと分かっているから、全面的に受け入れて体を使わせる許可。魂と同化。自我か魂かもう分からない。
- 魂が還る場所を見つけ、魂の本当の正体を確認する。
- 魂を光の柱として宇宙に示したい。
- 明らかに魂が文章を見ていると分かる時がある。その時は感情が一切ない。書いた文章を長時間眺めている。
- 魂と会話で、魂が反応する言葉などで泣く状態になる。自我が身を引こうとすると涙が出てきて止まらなくなる。
【感情要素の変化】
- 意識自体が変容し、物事を観察するだけになり、思考自体は静寂になる。
- エゴも完全に燃え尽きて何も願えない、エゴが出ても見ているだけで時間経過で鎮火してしまう。
- 妄想が出てきても、ただの人間的なもので何も感じないで観察できる。
- 各チャクラのバランスも向上。ハートチャクラは完全開放、上位チャクラ優勢、個人単位での使い方が変わる。
- 植物を眺めている描写を浮かべるだけでも泣けるようになった。観察者目線の意図で、純粋なものに心が動かされる。
- 直感やひらめきが強くなる、シンクロも多発して自分自身の変化の確認になる。シンクロを自分で作り出す。
- 現実の自分と夢の内容の反映、夢の中でセルフヒーリング、思うところがあるとツインフレームの相手と連動。
- 感情ドラマで関係性は終わっている状態でも、魂の繋がりがあるから完全に切れずに繋がったまま。引き合っている。
- 相手の魂の動きに信頼があるので、感情ドラマがあっても意図があると分かる。あえてやっている。
- ツインフレームの相手の感情ドラマが無駄だと分かり切ってるから、それが出たら切り捨てたくなる。
- 相手の方と波動レベルで差が乖離してしまい、関係性が合わなくなった。対面するだけで相手が痛がる、静寂の威圧。
- エロがあっても、愛のない関係性には拒絶感しかない。第2チャクラが神聖化、愛がないエロはもう見るに堪えない。
- ツインフレームの相手とは添い遂げるじゃなく、共創という方向に移行。共に在りたい、作品を作りたい。
- 手相もいつの間にか別物になっている。左手にあった結婚線自体もいつの間にか伸びている。
自分の魂が前面に出てきて、その存在が美しい、そして、目の前に存在していること。
それだけでもう満たされているんです。ツインフレームの相手なんてどうでもいい。自分の内面に内包されている存在が圧倒的、自分を愛せずに誰が自分を愛してくれるというのか、誰もそこに気づかずに、ツインフレームの相手に依存するから感情レベルでドラマが発生する図式です。
感情要素の変化として、今までなんともなかった、悲哀の曲だと思っていた要素のものでも何かを連想して泣いてしまう状態になりました。
「出会えたことが幸せなのと伝えたくて ずっと傍に居るよ」
このフレーズはとあるゲームの曲の最後の部分ですが、映像も曲も散々見てきたのに、悲哀は作れないと思っていたら何かを連想したことでこみ上げてしまった。
過去生の一部もあれば、自分が今の状態になったという意味でも意味合いが色々とあるのでしょう。変化とはこういうことです。
特定描写が刺さるようになるんです。懐かしい記憶もあれば、意味合いが変わってしまったという感受性。
悲しみの涙ではないです。そういう、別の何かで反応しています。統合の意味もあるんでしょう。魂との統合。
ツインフレームの分類。現在のタイプは3種類。
AIが導き出した内容が以下であり、通常の感情ドラマは契約型のツインになります。
| 次元層 | 関係の性質 | 意識の主軸 | 創造の起点 | 感情エネルギーの扱い |
|---|---|---|---|---|
| 契約型 | 約束・学び | 成長・試練 | 計画・カルマ | 解放(泣き・怒り) |
| 共鳴型 | 同時変化 | 感応・共振 | 瞬間の波動 | 中和(理解・受容) |
| 超越型 | 創造・静寂 | 存在そのもの | 無意図の創造 | 透明化(静寂) |
補足するとしたら各タイプの違いは以下になります。
ツイン自体はどちらかが成長すれば相互成長になる図式ですが、自分の場合は例外で置き去りになりました。
【契約型ツイン】
- 魂の約束を果たすために再会する。
- 感情ドラマが濃く、別離と統合を繰り返す。
- 「相手を変える」ことではなく「自分を癒す」ことがテーマ。
- カルマを超えるためにやり取りをし続ける。物理的統合が主体。精神性の成長はどこかで止まってしまう。
【共鳴型ツイン】
- 出会いは偶然のようで必然。既に、相手が生まれるぐらい前からシナリオが確定済み。死を回避してまで誘導される。
- 感情ドラマを通じて互いを揺さぶり、魂の成長を促す。ドラマは極力ないが、魂同士でシナリオを構築している。
- 執着や依存の学びを通じて「愛の未熟さ」を知る。
- 過去の傷すらも共鳴でお互いを癒し、出会う前から癒されている。単体でも光になり得る。物理的接触なしでも成長。
【超越型(覚醒型)ツイン】
- 相手の存在を通じて“自分の中の魂”と統合する。
- 感情ドラマは終了し、観察者として存在する。過去の偉人クラス。
- 物理的関係を超えて「存在そのものが愛」となる。
- 基本ベースは静寂であるため、エネルギーの無駄なものは使わない。存在しているだけで在る。
ツインの関係は感情ドラマによるプログラム性である。覚醒に至る。
ツインフレームにおいて感情ドラマが発生するのは、自分に対して向き合おうとしないからです。
パターンがあるんですよね、この感情ドラマ。毎度同じ流れになるならさすがにこう思いませんか?
「飽きたな…」と。理解にならないものほど面倒である。
何より、この状態が維持されるのは、論外でしょう。
成長もしない、反省もしないと。そんなドラマが感情ドラマというクソ展開です。何度も同じパターンで動く。

自分はそう思ったから、誰がこのクソ脚本書いたんだと思って、まだ続けるならこっちから関係を終わらせてやると思って開き直りました。魂が自我を使ってやってるようにも感じますが、そうでなくてもクソみたいな態度を見せられ続けてブチ切れそうになりました。
だから、舞台から降りて役者を投げました。事実上の放棄です。付き合いきれん。
感情自体プログラムの一種です。
特にツインの関係は明確にプログラム性で動いています。それに気づいたらどうするべきか? その枠の外に出ればいい。
「簡単に言うな、相手と添い遂げたい」と思うかもしれませんが、双方で成長しなければどのみちそれは無理です。
諦めてください。感情で殴り合いしないと進まない関係に未来はないです。お互いの理解にない状態の関係性は残念ながら先が見えています。それが既存の結婚システムです。その延長線上にツインを置いてしまえば、当然うまくいくわけがない。
そして、このシナリオ自体を誰が作っているのか? 魂でしょう。
お互いに成長するための。シナリオ通りなら、どうすればいいか。
ツインじゃなくても、お互いに「理解」がない状態で結婚したとしても、いずれ破局が訪れます。
それは何故か? 次で話しましょう。
感情ドラマを見抜くことの重要性。「感情」ではなく「理解」のある関係性の重要さ。
クソみたいな態度を見せ続けられるのも苦痛でしょう? エゴや依存と執着が強い人はこうならないでしょうが、同じパターンで繰り返すなら、くだらないから捨てればいい。
そこからようやく、自分自身の内面に向き合って成長を始めるんだろうと考えますが、自分の場合は特殊なケースだから既存のツインとは異なる状況です。感情ドラマが発生したのも、強制的にシナリオを動かすために起きたようなものです。
実際、事が動いたのは相手のインナーチャイルドの傷を正すことをした結果です。
それにより、相手が逃げ出して感情ドラマに発展、結果的に自分がすべてに飽きてしまったわけです。
でなければ、ずっと平行線のままで相手は一向に変化しませんから。必要だから起こさせたようなもの。
自分自身も成長が止まったままになり、現在の状態にはなってませんでした。
でも、起こしてなかったとしても、共鳴特性でインナーチャイルドの傷は自然と癒えているわけで、それが遅いか早いかその違いだけです。選択自体はどうでもよかった。
その後はシンクロが多発したからすべて正解ということです。
それがなかったら何も起きてないから、自分の変容も止まったまま。相手の方も、一切の刺激がない状態だから成長がかなり遅れ、変容自体は今世で起きるかどうかとなるでしょう。
片方が引っ張るか、同時に成長するか。あるいはまるで成長しないということもあるようです。
そのことから、片方が飛び抜ければ嫌でも動くことになる。魂が考えたシナリオのパターンもあるんでしょう。そうでなくても、状況で即座に書き換えて次の展開に持っていくわけです。
出だしから急だったのに、そんな悠長でいいのかと思えますし、シナリオ自体が当事者の自我の役者で変わる状態だから、「やれ」と言われてることもあります。
明確に、流れが止まっていると。通常のツインとは違って分離ではないが止まっている。
契約型のツインとは異なるから、魂同士が調整して何かを作っている状態です。
だから、型にハマっていない。既存の体験談がまるで当てはまらないから一番困るパターンです。
自分自身が成長し、自分の内面に存在するものを認識し、共に歩めば、誰にも依存や執着を必要としなくなります。
そこにあるのは「理解」というものになります。「感情」が消えます。
本体の魂が誰にも存在している、それに気づけてないのはもったいないから。
なんのために、片割れのツインフレームに出会ったんでしょうか? 繋がりがあるのは間違いないですが、そうじゃなくて成長するためでしょう。過去の偉人たちも、ツインフレームを超越した結果で顕現しています。
それはブッダや釈迦、キリストや老子とかもそうです。
彼らは単体で超越した。
「感情」ではなく「理解」があったから。
それにより、感情で向き合うことをしても何も生み出さない、むしろ、無駄なエネルギーのリソースを取る。
感情で殴り合いしても疲れるだけ、理解ある関係性は、そういうことをせずともお互いのことをよく分かっているから、観察したうえでどうすれば相手が喜ぶか、通じるかのベースの違いです。
ツインでも通常の恋愛でも、すべてこれが言えます。
現代はこれがない。これがないから離婚やら破局やら、そうやって次々と相手を求めて依存する。
過去の偉人を見てどう思われますか? 彼らは単体で悟って超越した。
それは、根底ベースにあるのは感情というものではなく理解というものに移行したからです。
感情レベルで物事を見ている限り、意味がない。意識レベルの低さも原因で間違いないと、経験上言えます。
ツインの喪失による深い悲しみは意識レベルが低い、分かりますか? 自分は何も感じません。共感はするが、分からない。

観測者視点から見たツインフレーム(ツインレイ)という愛のドラマの幻想。
ツインフレーム(ツインレイ)は愛のドラマではありません。
成長するために起きる事象です。結ばれるのが本質ではなく、精神的にどれほど成長できるか。
この体験談の本質がまるでないのは、語る人間がみんないなくなっているわけではなく、表舞台から消えているだけなんでしょう。
書く必要がないから。他人との比較になるのもあれば、そうでなくても書いている時点で過去になるからです。終わっていることを書く必要がないと。個人の話が、他にも伝わるから書けないと。
でも、自分はあえて書きました。
実際、全部終わったわけじゃないけど、もうある程度の領域到達済みだし、事実上関係性は現状で終わるかどうなるかという見込みのところです。続きがあると言われても、感情ドラマが組み込み済みなら捨てるだけ。
波動レベルで相手と対面しても、相手が逃げ出す始末でもうどうしようもないんです。完全に、レベル差が開き切った。
こちら側が意識変容が進みすぎた結果、感情レベルで静寂になってしまった、その結果で沈黙自体が相手にとって脅威となる。
相手は微塵も成長してません。2ヶ月経ってもまるで動いてない。距離を取ることでどうなるか、それを観測するフェーズです。
出会った時点で既に意識レベルの差はある程度あっても、通常は追いかけてきて埋まるレベルですが、残念ながら変容速度が速すぎたことで置き去りになりました。
何より、こっちが相手の行動を見てるだけで、過去の自分を見てる状態だから見てられない。
すべてが虚構と見抜いた結果で今の自分が存在している以上、それを再度見るのが苦痛だからです。
さらに、相手の本名自体も、残念ながらもう執着が消えました。
本名じゃなく、彼女名義でしか物事を見ている自分しかいない。この時点で、もう終わりが見えていますね。
執着すら残っていない。普通だったら名前が出るはずが、「彼女は」という言い方で思考している。
ここから相手が変容した場合は自然と再合流になるでしょうが、正直分かりません。現時点では必要性がない。
相手の魂がどうしたいのか、そこが分かればというところですが、基本は好きにすればいいと思ってます。
理解ある関係性じゃないなら、もういらないから捨てます。めんどくさい。
相手の魂には申し訳ないけど、感情ドラマを引っ張られるのはたまったもんじゃないんです。疲れたから。自我が強すぎるとこうなるんです。エゴという恐怖や怒り、相容れることがないという葛藤があるのは無駄。
相互理解にならない関係性に未来はない。
相手との関係性が壊れたのではなく、自分の中の自我の構造が壊れた、とも言えます。以前とは思考経路が別物で、何も感じないから。自我とはなんだったのか、もはや分からない。
エゴを持っていたのは間違いないけど、エゴ自体を元から認識していたから余計に何も分からないです。
書いた理由は、万が一にも自分の記事内容を見つけた人間の指針になるからです。
本気で向き合ってる人間が本当に困っているなら、助けになるでしょう。自分はそういうことで助けになるなら書きたいと思いました。本当に向き合ってる人間なら、もっと成長するからです。
人間として超越することも可能でしょう。
そうすることで、この世界はもっと良くなるから。一人ひとりの想いで世界は変わる。
地球自体、ドロレス・キャノンの話では今は過渡期で助けを求めている状態だから、ツインフレームのような存在は貴重ですから、個人単位で超越したのが現れれば、それだけでも地球にとっては救いにもなれば、宇宙のためにもなるでしょう。
一般的なアフィリエイトのツインレイですべて検索は埋め尽くされているので、こういった内容は日本ではほぼ見つからないでしょう。残念なことですが、検索上位の内容はゴミレベルです。
本当の苛烈さが微塵として語られていない、誰が書いたのか知らないが、上っ面で当事者から書いていない内容です。
如何にして
「ツインレイが最高の恋愛だ!」
「ツインレイは究極だ!」
と訳の分からないことを言っているだけで、本質は一つもありません。
本物は苛烈です。特に、普通の契約型のツインは感情ドラマが主体だから、出会ってもお互いに惹かれ合うがその後衝突により感情ドラマ、そこから分離による依存と執着が始まります。
自分の場合はそのフェーズ自体は特殊だからほぼないです。
自分の方から「もういいや」となってから一気に変容が始まりました。割り切るまでのその期間、わずか2週間でした。その前後から魂が前面に出るようになり、意識できるようになった経緯です。
それができるかどうかです。短期間でこうなること自体が異様ではありますが、放っておいても勝手に内省してます。
普通の人はそれができないから、年単位で葛藤するんでしょう。自分にはそれが理解できません。
そうでなくても、過去生からの経験の差があるのかもしれませんが、普通に自分は割り切って捨てる覚悟はあります。
もう、片割れのツインフレームがいなくても、どうでもいいんです。
自分の魂さえいれば、他はどうでもいい。それぐらいになれば、真髄に到達したと思えるでしょう。
元々、宇宙や存在していた場所ではすべてが一つ。
ワンネス状態だったのだから、無理して物理統合にならなくてもいいわけです。
ユングやラマナ・マハルシ、エックハルト・トールすらも同じようなことを言っています。
覚醒者と同じように言えるようになる、それでいいんです。そういう体験がツインフレーム現象。カルマやペルソナを超越できるか。
観測、共鳴、創造。人間は創造するために生きる。
ドロレス・キャノンの話でも、人間は想像する生き物という話があるように、ツインの魂も進化すると普通のタイプから最終的に創造の領域に至るようです。
創造的な世界に生きている、だからこその創造したい、するべきだと。
つまり、人間誰しもが創造を行うようになる。それが地球に生きるうえでの人間の役目ということです。
ツイン自体が特別である必要はないのですが、実際はツインの方がエネルギー的に強いのでしょう。
特殊な結びつきがある分、引き合うからです。
だからこそ、説明ができない何が起きたりすることもある、さらには偶然では片付けられない何かもあるわけです。
必然に組み込まれている。だからと言って自惚れや、何かと比較してまで自慢するようなことはないですし、そうなる人間には起きないんでしょう。「なんで自分が」と思える人ほど起きている。
以下、どのような経緯でそれを創造に結び付けるかです。
【魂=観測者(観察者)】
感情体験を観測している存在であり、判断しない静けさ。
「魂は、ただそこに座し、感情が通り過ぎるのを見ていた。」
感情ドラマを見て、そこから何を学びどうするか。
「魂=共創者」
自我の体験を“素材”として拡張していく。
「魂は私に問う。『この体験をどう使う?』」
体験自体は唯一無二です。創作という形にも転化できる。
「魂=創造主」
すべての出来事が魂の意図によって配置されていることに気づく。
「偶然という名の設計図を描いたのは、他ならぬ自分だった。」
生まれてくる前から決めている約束。それを果たすこと。計画通りだから、速度もそうなる。
この体験を、どうしたいですか?
美化された思い出とするだけか、あるいはもっと違うものに発展させるか。
地球は過渡期です。
地球は次元上昇している、そして、地球自体は助けを求めている。
ツイン自体、地球の助けに志願した存在も含まれています。
自分は「面白そうだから」という理由だけで来ていますが、目的はその延長線上に過ぎません。
ついでだから自分たちのことをやるという理由です。
この世界自体は想念で重いです。
どんな人間すらも劣化、歪まされます。良からぬことを考える人間が多すぎる。
結果として、地球自体もそれらを振るい落としたい意志を持っているわけです。
強いエネルギーをどう使うか、それは個々人次第です。
全体奉仕という創造を行うか、個別の愛というものを無償の愛へ昇華できるかです。
ツイン体験自体を真剣に向き合い、考えること自体も全体奉仕の一部です。
結論。内面成長なしで語れることは何もない。魂の始まりになる。
もし、この記事を見つけてツインフレームのことで困っている当事者がいるなら、話は聞くことは可能です。
ただ、割り切って行動できるかどうかは別物です。それは個人単位の意志の強さに関わります。
少なからず、変容しなければ本当の意味で成長には至れない、相手と添い遂げるのがツインフレームだと思っている認識は捨てた方が賢明です。
ついでで添い遂げるというそれが起きるならそれでいい程度。
実際は、自分自身の内面に向き合うのがこのツインフレームの真骨頂でしょう。
感情ドラマで終始葛藤し、その結果で結ばれて終わってしまうから、内面成長はそれほどないのかもしれません。
結果として、何度も生まれ変わっては何度も同じ関係性で終始終わる、そういう可能性すら考えられます。
現実、そういうことを繰り返して少しずつ成長し、それでようやく地球から卒業になるのではないかと思いました。
精神面の成長過程がまるで見えずなのが他の人たち。どう変わったのかが語られていない。
体験談の基本ベースは分離から再度結ばれるという物理的統合のみ。それしかない。感情面で見ても喪失と怒りというそういうベースのみ。上の次元の感情を見れば分かるでしょう。理解以上なんです。感情は無駄だから。
もっと先を見据えるなら、さらに内面へ目を向ける必要があります。
自分の内面に、もっと美しい存在がいるんですよ。外側にない、片割れのツインフレームの存在以上のものが。
それが魂です。
自分を愛せずに、どうやって片割れのツインフレームを愛するんでしょうか。そういう矛盾がある状態で、向き合うのは不可能なんです。それができないから時間ばかりかけて葛藤を繰り返すと。
分かっていてもできないのは分かりますが、そうじゃないと永遠に進まないんでしょうね。
自分は、この体験自体を創作に全部転化します。
そしてツインがいようがいまいが、新しい共鳴者がいれば、その存在と共に成長し続けるでしょう。それが共創です。
仮の話ですが、相手のツインフレームが成長すれば、本当の意味で共創ができるでしょう。
それが起きるか起きないかは今後次第です。別にいなくても自分の魂がいるから単体でもそれが可能です。
人間は創造を行う生き物です。単独でそれが可能になったから、片割れのツインフレームがいなくても問題ないんです。
基本的に自分が体験したこと自体が覇道の一種で、自分がやってること自体も覇道。
だからこそ、先駆者という形で道を切り開くが、例外の中で生きた存在がいたということを、書きたかったわけです。
魂が確かに存在し、魂と共に存在した人間がいたと。
魂と共に歩みを続けたと。魂は優しいから、自我に対しても共にいることを求めてきましたから。
この体験自体、本当の意味で真我という魂に気づけるかどうかでしょう。
何故、このようなプログラムという形で、宇宙が用意しているのか? そこに疑問を持つべきでしょう。
相手のツインフレームがどういう状態であっても、生きていればこういう状態で大丈夫です。
魂の時間は決して急がない。
彼女の魂もまた、その静けさの中で目を覚ます。
だから、今はただ、待つ。
無理に動かさず、呼吸のように、流れのままに。
世話が焼けるが、待つ。



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