思うところがあったので、精神性カテゴリーでちょっと書いていってみようと思います。
自分と同じ体験か、あるいには似た体験した人のヒントになれば。本当、これは葛藤し、孤独を味わうものですが、これに関してはヒントになることがまるでないから。
本質に辿り着いてないほど苦痛になる。
自分自身で答えを出すというのもあれば、人によっては、本当に苛烈です。
こういうことがあって、余計にもう人間でこの世界に戻ってくることがないと分かり切っています。必要ないから。
何も学びがない場所に、何故辛いのにやってこないといけないのか。高校生が小学校に行くのと同じです。
退屈なことを何故しないといけない。人間の転生が、今世で終了だということです。何かの恐れ、起こるかもしれない恐れ、という言葉で備えるのは重要だけど、本当にくだらない。それなら、起きないようにしてしまうか、起きても不発か軽減にすればいいという発想になってしまったから。それぐらい、この現世がくだらない。
魂の片割れの出来事と、自分の魂を引き出して感じていることのシリーズです。
なお、お花畑のスピリチュアルで誇張されている「ツインレイ」ではなく「ツインフレーム」が本質であり、究極的な「ツインレイ」などというのは存在しません。ツインレイはただのビジネストーク、カネ稼ぎにより派生したただの雑音です。
見れば分かるでしょう? 個人ブログとかで、勝手に派生して響きがいいように解釈されている、ツインレイの数々を。
あれらは本質ではない。それにすら気づけないなら、本物は決して見破れない。
フレーム=フレイムで燃やされるぐらい強烈なのが本来の由縁。日本で語られているのは詐欺です。
それを見抜けてもいない人に、本物は決してやってこないし、見抜けない。出会ったと思ってやっているのは、ただのドラマを楽しんでいるだけの有象無象であり、本物は強烈な感情を伴うので、はっきり言って死んだ方がマシなレベルです。
多分、本物を見抜けるぐらいになるのは、ある程度精神性が達している、成熟している状態で、自分の軸があるという条件が揃わないと無理なんでしょう。あと、致命的なぐらいな自分の生死をさまよう体験とか。
唐突な直感とかも重要で、そう思ってからの展開は、間違いなく起こるんでしょう。
ツインフレームは自分の写し鏡だから、それで起きたことを見つめて、乗り越えられるかどうか、味わうのが試練です。
基本は、味わうことが醍醐味であり、乗り越えられずに逃げても正解だと思ってます。
何故なら、それができるのが本当に一握りだから。それぐらい、可能性はあっても発現する状況になるのに条件が満たせない人が大多数。あらかじめトリガーを全部満たしておかないと起きない出来事です。
そういう意味で、全世界で数パーセント、あるいは1%以下という単位になっているんでしょう。確率で計算したら、ものすごいことだと分かるのではないでしょうか。億単位で1%以下、どうですか?
よく誰かが言っている、「ツインレイと出会った!」はただのドラマです。そんなキャッキャウフフというお花畑要素だけではなく、確定で幸せになれるわけがない、苦痛を伴わないのは違うということです。一つも燃えてませんよね。
自分のエゴすらも根底で焼き尽くされ、その後に残るのは静寂です。その後は、感情が出ても冷静に眺められるぐらいになるのが、試練を乗り越えた後の結果です。結果として無償の愛と感謝しか残らない。
そして、普通に全体のために行動しか考えなくなる。以前の価値観そのもの自体が破壊されることも。
試練中は感情が暴走したり、結果で相手に迷惑をかける要素もあるでしょう。それぐらい、苛烈。
基本は一人で試練をこなすということになるでしょうし、今までの経験を活用しながらやらないと、多分逃げることになります。でもいいと思います。体験できる人が本当に少ないから。体験できただけでも価値になる。高次元としても、体験を重視するでしょう。
すべては完璧と言えるぐらい、後から線で繋いでいくとそうなっているのがこの現象ですから。
宇宙という領域は、最高のタイミングでしか物事が起きません。その中に自分の魂も加担して何かをやっている。相手の魂とも協力して打ち合わせをしてやっていると。相手と引き合わせるために、調整しているわけです。
人間でしか全部できない体験です。感情も感覚も、人間でしか味わえない。
上の領域に行ってしまうと、そんな感覚はないから。人間でしか体験できないことをするというのが、地球という場所なんでしょう。
本当、自分の本体は顕在意識の自分ではなく、魂です。ふとした瞬間に強烈な言葉を出していて、それが過去からあった何かだということです。それを見るだけでも泣ける状態なのも、何かあったんでしょう。
記憶がないから共感はできないけど、自分は自分だからその感情自体も出てきて美しいと思える。
そうでなくても、特定の単語で引っかかったりするからそれで泣けてくるのは、何かを知っている。過去からの何かを。
魂から出てきた言葉のせいで自分自身でも直撃して泣いている状態なわけで、それをずっとやっています。
シナリオの方も埋めつつやってますが…、ダメだ…。完全に魂が反応してる。
どうしても最後のシーンで自分が泣く…。こんなの今までで初めてです…。同人活動10年以上なのに、自分が直撃してる時点で、これを出したらどうなるのか。既存のアレが薄っぺらいとよく分かるレベル。何か連想するだけでも泣けるしで、明確に反応してる。
今回は明確に何かあると感覚的に分かってはいるけど、調整自体は本当によくやりたいところ。…うん、それすら厳しいんだけど、マジで見てらんない…。見てると泣くから。
でも、これが真理なんだな…。言葉だけでも、あるいは何か連想するだけでも泣く。出かけるのがしばらくは困難だ…。
自分の過去からこれをやっていたということか、あるいは自分自身が体験していたか。多分、どっちも合ってるけど、とにかくものすごい過剰反応。喜んでるという感じでしょうか。
あるいは、思い出したのか…。これをやっていたのか…。自分自身でやってたなら、文字通りの集大成であり、やっぱり人間でしかこれはできないこと…。何度も誰かと出会っては、あるいは本命の人と出会っては別れの繰り返しを紡いでいたと。愛を紡いでいたんだと分かります。
やはり、自分自身は弱いけど、本当に純粋なんだなと思うだけです。魂自体は無垢です。
まあ、完全にもう、顕在意識の自分は極力余計なことはしないというスタイルで、見えない領域が動いていると思ってやれることしかやってません。多分、動かない方が全部スムーズになる。
どうしてこうなった…。そうでなくても、純粋に相手側の素を引き出している。
多分、これが共鳴状態なんでしょう。自覚はないにしても。こっちはもう確信で相手がそうだと分かってはいますが。
確定で見えないところでお互いの魂がやり取りしてる。じゃないと説明がつかない。想定以上の反応が返ってきて、見えないところで打ち合わせしてる。これは…再演なのか? 果たせなかった約束とか? この現世で何かやってほしいのは間違いないようで。
そうでなくても、相手の優しさで本気で惚れてしまうという。久しぶりにこの感情を味わって、まだ人間だなと思いました。
他の人では、こんな感情が出ることもないんですけどね。だって、本当の意味で相手を許せないし、心を開くことができない。そもそも相容れることがほぼない。出会った時の感覚が本当に特徴的で、その感覚からの、試練のような感じになりました。
他の人では絶対に感じないあの感覚は、味わった人にしか分からないでしょう。
思い返すと布石が過去に散らばっていて、何かが起きていないとこの状態に辿り着いていないという、宇宙と魂自体が加担してやっているわけです。
お互いの魂自体も、見えないところで何か会話していて、反応自体を設定している節もあります。
顕在意識の自我は器です。本体の魂が引き出されると自然に体も反応します。
試練自体は1ヶ月で終わったけど、結局すべてが終わったわけではなく、違う意味で今度は魂を引き出して真理の領域に辿り着き、苛烈さは消えてません。むしろ本番に近い。真理に触れてしまった…という、感慨深い状態で、人間でもこの域に行けるのかと。
観客から、舞台に引き上げられてしまった感覚。静かに終わるだけだったのが、突然主役にされてしまったという。
なお、人によっては試練は年単位になるとか、多分、自分にとっては過去からの蓄積と他に対処方法を知ってたから容易だったんでしょう。あるいは、その時間がない。
果たせなかった約束で泣いて反応してる辺りが、自分が原因かもね…。この現世で成さなければならないことがあるのか…。
自分の魂は、何がしたいんだ。果たせなかった何かがあるのもあれば、やはり人間でしか体験できないことを、最後にやりたいんだろうとは思います。本当に純粋な願いで。
全員が自分みたいな体験をしたら、全員が理解するでしょう。
なんか、本当におかしい。
なんで自分なんだろう…。クリエイターという意味でも、意味深になってきている。それだけ影響力がある何かがあるのかもしれない、選ばれたのなら本当に光栄で泣くほど嬉しいです。
基本的に、宇宙自体は全体のことしか考えてませんし、全体波及する要素になるなら後押しとかもあるんでしょう。
個人だけのご褒美とかは、どうなんだろう。基本は何かが降ってきたら拾うでいいと思う。自分自身はカネにも興味ないけど、それで生きにくい状態だから。
この世界自体が虚構としか思ってないし、面白いことと言えば、宇宙に対して想いを飛ばし続けるしかない。
自然の造形物は美しいし、空にある雲とかは本当に美しいと思えるわけです。これに気づいている人は純粋で、そういう人は一握りでしょう。
コメント