この本、読むタイミングで意味合いが変わってくるという面白い本です。
過去に読んだ時と今読むと、意味もまた変わり、さらには状況次第で思うところも変わるという。これがタオ道というものでしょうか。

Ci-enでレビューしたのか忘れましたけど、どこかで内容を書いたような気がしたものの、残ってないので記事にしました。
タオってなんだ? って思う人はこちらが分かりやすいかと。
タオイズムとは
この道TAO(タオ)に添って生かされるという
無為自然の生き方を、タオイズムと呼びます。そしてこの宇宙に存在するものは
人間だけでなく、すべての生命もまた存在も
道TAO(タオ)の宇宙の原理原則に添って生かされているのです。天災だけでなく、私達のまわりにあるすべての現象
人間がつくりあげた社会現象も
そして人間関係や、経済活動、国と国の関係も
宇宙的な立場に立って見れば
道TAO(タオ)の原理原則から逸脱することはできないのです。そのことを考えると
現代の渾沌とした時代を生きぬき
いかなる天災にもむやみにおびえることなく
生きぬくには
今こそタオイズムを学び
無為自然の生き方を身につけることが大事なのです。
天災の続くこの時代を生きぬく「気」
自然に調和する生き方
3.11の東日本大震災以来、
日本だけでなく、世界で天候が荒れ、
日本でも桜の季節に爆弾低気圧や、暴風、暴雪、竜巻など
天候が荒れています。人間が汚し、破壊してきた天地自然の調和、
このつけが、はっきりと目に見える形で現れているといえるでしょう。
そしてまた、人間の手が及ばない自然の力が加わって
観測史上最大という言葉も度々報道されるようになりました。天地自然が激しく動いている今、
爆弾低気圧が来たときなど
道家では、こんなときはどのように対応するのでしょうか。
「雨が降ったら傘をさせばよい
台風が来たら家にいればよい」これが生き方です。
簡単のようですが、これが自然に添った生き方なのです。無理に外出しない、
この程度はだいじょうぶと思っても 予定を変更できたらぜひ変更し
そして変更できないと思う予定も
頭を柔らかくして、考えましょう。きっと相手の方も、この嵐の中の会議より
好天での会議を望まれることでしょう。どうしても今日中にやらなければならないことなんて
何もない
君がそう思い込んでいるだけだ
その思い込みを取れば、
気楽に、楽しく生きられる道家道学院の創設者 早島天來の残した言葉です。
例えるなら、電車が止まっていて予定時間に間に合わない! とやっている人がいたとしましょう。
そこで取る方法は二つです。
一つ目は待つ、二つ目は他の手段を考えるです。しかし、当事者は二つ目の方法までは目が行かず、第三者視点でそのことが見える程度です。
でも、状況が状況だったら、慌てなくてもよいのではないか? それができるかどうかです。
現代人はその辺の感覚が完全に狂っている。無理に生きてるから疲れる、無理してないと言っているが無理している。その証拠に、どんなに嵐であろうとも、どんなに災害が起きて日常が破壊されようとも会社に向かおうとしている。
よく頑張るとは言うが、顔を張るやら我を張るやら。
どちらかというと両方をこじらせ、顕著に我を張る方の頑張るを使っている人間がいたりします。
裏面がこうなので、これを見てどう思うかです。
普通の人はこれができない。つい何かガチャガチャやりたがる。自分の感情はその時どうなのか? 色々と観察ができない。さすがに今すぐ何かやらないと死ぬ場合とか、そういうところまで追い込まれてると例外ですけど、そうなるまで放置しておいて慌ててる人間は身近でよく見てる。実の親がそれ。

自分で何かをやろうとしても成果が出ない。
それが分かったら、もう何もしないぐらいがちょうどいいのかもしれません。必要な時が来るまでただ待ってみると。
自分探しの旅とかよく言いますが、外側に答えはありません。
すべてに言えること。答えは自分の中にあるのだから。読み返していて、この部分が考えさせられました。
自分探しなど、時間の無駄日々いろいろなことを話し、考え、おこなっていますが、それはすべて宇宙の中でやっていることです。
過去教えられてきた通りに、「宇宙と私は、別物」「宇宙は、聖なる特別な空間」と信じ込んでいる、その考え自体も宇宙の中のものです。
ありとあらゆるものが、宇宙そのもの。
どんな思考も、どんな感情も、どんな体も。
私たちは「外からインプットしたもの」でできているわけではありません。
「メイド・イン・地球」の自分は、外側からいじりようのないものです。
だから、自分探しなど一刻も早くやめたほうがいい。
時間の無駄です。
それよりも大切なことは、自分が身につけてきた装備を脱ぎ捨てること。
素直に、この世界での生きにくさという違和感を実感すること。
そして、そこから生じてくる感覚を大切にすることです。
本文P.89
人間の体を構成しているのも宇宙。両親からの遺伝子で生まれたとかそんなのは置いておいて、結局体を構成している物質、振動、あらゆるものは宇宙。
人間はどこの世界に存在しているのかと考えたら、宇宙の一部です。
すべては宇宙に通じる。しかし、上っ面のスピリチュアルは宇宙という言葉を多用しているだけなので要注意。宇宙=カネに繋げている。
そんなだからタフティだとか、引き寄せの法則のようなものがあればみんなこぞってそれを取り上げ、飛びつく。理解していないのに分かったフリをする。
生きにくさという違和感。
これは絶賛体験中。本当に生きにくい。が、むしろそう思ってること自体が正常で、そう思わない人は既におかしいのかもしれません。その違和感すら感じ取れないぐらい狂わされている。
違和感を感じないのが当たり前と思ってる人は、訳の分からん装備でガチガチに固めているのかもしれませんね。そして、その装備で自分自身を守っているが、自分の醜態を隠すためでもあると。
そこから生じてくる感覚はどんなものか、これをよく観察する必要があります。
どういったものなのか、ただひたすらにそれを観察する。
360度眺め、どういうことなのかと観察するぐらい必要でしょう。観察するということは、誰かにそれをやってもらうという他人任せではなく、自分で気づくための行為。やってみるとこれは大事だと気づきます。
自分が身につけてきた装備=周囲に対する壁かなと。
これは、そうすることで自分自身を守る役目もありました。なので、過度に人と接するとかは相変わらず抵抗があり、どうしてもこれは拭い切れず、脱ぎ捨てるのが難しいと感じています。
それもあって余計に他者との距離感が苦手なんでしょう。
自分が今死んでしまうということ自体、宇宙にとっては損失になるだろうという考えはあります。
必要な時、役目が終わるその時までは生き抜く必要があると。そうでないと宇宙にとって役に立てないのもあれば、宇宙の計画の一つとして狂いが生じてしまうのだろうなと。
狂ってしまうことでエネルギーバランスもおかしくなる。
現在の自分で言えば、自分の中の循環がおかしくなっているのは明確であり、解決方法としてはただ歩くということだけです。歩くということは、やってみるとふとしたものが降りてきたりするものです。
1回で理解できる本ではないということと、理解してしまうと危ないという、極めて変わった本です。
間違いなく、現代人において必要になってきた本だなと感じます。
社会の在り方、働き方、すべてが破綻してきました。
一人ひとりがどうしたいか、どう在りたいかを考える時期に来たんでしょう。
周りの目を気にしている場合ではありません。
お金で解決しようとしても解決しきれない、そういう局面になってきたではありませんか。
外側に期待して、何か変わりましたか? 何も変わりませんよね。
必要な時に再度本をめくってみると、当時と感じ方が変わったりする。
この本はそういう役割なのかもしれません。腑に落としては危ない、簡単に理解できるようでは理解していないと。
個人的には社会に染まりたくもないし、矯正させられたくもないし、普通の生き方をさせられたくもない。
人間のプロが言う普通の定義自体が合わないのだから、嫌なものは嫌だ。
Kan.さん自体、表舞台にはなかなか出てこないし、会える機会がないようです。
イベントで東京で一般人でも会える機会が直近であったようですが、そういう時に行ける人は行ってみると、何か得られるのかもしれませんね。
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