プレーヤーはもう1割しかいないようです…。残りは全部、NPCというゾンビ。
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ゾンビってどういうこと?って思った方はこういうことでしょうね。
賢者のフリをした馬鹿です。
すぐに誰かのせいにして自分の頭で考えない。その方が楽だから。
誰かのせいにすれば自分は悪くない。間違っていたのは相手だから。
具体的にどういうことかこれについて解説してみましょう。
- とりあえずワクチンを打つなって言われて打ってないけど、いつになったら人が死に出すの?
- デマだったらお前は責任取れるのか?ウンコロナにかかったら責任取れよ?
- デマは許さない!
はい、ただ、とりあえずやばいって言われて打ってなかったけど、本音言うと打ちたくて打ちたくてしょうがないのと、自分が正しいのか間違っているのか、それが知りたいだけ。
だから、それでもしも「デマでした」となったら、鬼の首を取ったように攻撃を始めるんでしょう。自分の頭で考えて出した答えじゃないから。
そういうのがゾンビプレーヤー、NPCということなのでしょう。
何においても文句しか言わない、自分は悪くない、悪いのは〇〇だ。これの繰り返し。だからあらゆることに依存して、文句だけは言い続ける。
前々から自分も日本人のほとんどがNPC化してるような節を感じていたので、その通りだなと思います。
馬鹿と賢者の違いとは。
馬鹿と賢者の違いとはなんなのか。
自分の頭で考えて、情報を取りに行って判断することじゃないでしょうか。今の日本人のほとんどはそれができてません。具体的な馬鹿は、考えるとこうかなと思います。
- NHKとテレ朝が大好き。
- BSとか見れるけどそんなことよりも地上波でしかニュースは見ない。
- テレビが唯一無二の真実だと思っている。他は陰謀論。
- 自分の認識と異なることは自分の無知を隠すために必死になるので無言になる。認知的不協和。
- すぐに誰かのせいにしたがる、何もしないが文句だけは言う。
- 一つの視点だけで物事を決めつけて判断する。
- 多数派だから正しいと思い、少数派や違った意見に対しては馬鹿にする。
- 自分が賢いと思っている。
他のも色々とあるでしょうけど、ざっとこんなもんかなと。
だから、アホ死ンドクが死んでも、こんなことを言っていたのすら忘れる。
賢者は色々とあるでしょうが、こうでしょうか。
- 自分の中に軸がある。何があってもその軸だけは流されないのでしっかりしている。
- 世界がどんなものか知っている。
- 世界が腐っている、嘘まみれに氣づいている。
- 自分から情報を取りに行って判断、考える。
- 達観しているから周りがどんな状況かよく見える。
- 視野を広げているので必要な情報かどうかも分かる。
- 必要以上に群れない。
基本的に「で?」というスタイルなのでそれ以上もないという。何が起こっても「で?」。
自分の中に軸があるので、軸を大事にしつつも状況に応じて回転して考えを改め、取り入れと変化します。興味対象も広いので、知識を吸収しつつ、飽きたらそれ以上の追及はしない。
対して馬鹿は、テレビ情報だけで判断して延々とそれを眺め続けます。そして知ったかになる。根本的に間違っていて周回遅れの腐ってる情報で鼻が高くなっているだけ。
世界の本質とかも分かっているから必要以上に追及もしなければ、氣づいたままに行動しているから基本的に世間が騒いでいることに対しては無視の一択。
軸がなければ、何かあればすぐにそっちに倒れます。家と同じです。柱がなければ、台風で倒壊するのと同じ原理でしょうか。
馬鹿と賢者の違いとしては、流されるかそうでないか、自分自身があるかどうかです。
馬鹿は基本的に自分自身がありません。誰かのせいにしないと氣が済まないのです。だからこそ詐欺とかに騙されやすいというのもありそうです。いまだにトランプとか、米寅とかやってるのに騙されているのはもう終わっている。
今が馬鹿か賢者かの分け目。
テレビ情報やメディア情報だけで反応しているかどうか、データが見れるかどうかになります。
結局、まだ起きてもいないことに対して過剰反応しすぎるのも良くないですし、チェックはしつつも自分がすべきことをできるかどうかです。
物事の見方を視点を変えて見られるかどうか。
悪党だから殺せばいいと思うか、所詮は同じ存在なのだからその程度として見てほっとけるか。構うから基本的に助長するだけです。
エゴの反応もあるでしょう。
エックハルト・トールも言っています。「エゴは解体される運命にある」と。
今できることとしてはテレビ情報で流されずこうできるか。
基本的にテレビは噓つきであるということ、真実なんて人類が滅亡しても言うわけがないということを自覚しつつ、それなら自分が何をすればいいかを考えられるかどうか。
流されてるぐらいなら日々を大切にしてやれることや、やりたいことに取り組んでこの命を使った方が賢明でしょう。
所詮、この世界なんてその程度なんですよ。世界の本質に氣づけば、「で?」ということしか起きていない。それができるかどうかで動き方も変わるでしょう。
世界が明日滅ぶと分かっても、リンゴを植え続けられるかどうか、超存在に期待してワクワクしてもいいけど、そんなことよりも日々に目を向けた方が賢明です。
CERNの異次元のゲート次第で、悪魔ではない別の存在がやってきたらそれはそれで面白いんですけどね。本当の意味で光側がやってきたら。
多分、それでもエゴに支配されているのは光側の存在であろうとも恐怖するか何も反応しないでしょうけどね。目先でお祭り騒ぎされてる方にだけしか目を向けないから。
これから先、もっと馬鹿が露呈するようになってくるんでしょうねぇ。
ウンコロナに続いておサルさん、おサルさんも流行ればまた自然の摂理に反しているワクチンに頼ると。だから、何度も打って勝手に死ぬだけ。
権威(笑)の医者(笑)とか専門家(馬鹿)を信じて殺されるだけ。
NPCになっているのだから、もう不要な存在になれば排除されるだけなんでしょう。
もはや自分の頭で考えてないようなのから消されていく。依存し続けているようでは解決策も見えないから。騒ぐから騒ぎが終わらない、それが事実。
変に騒いでいるのが出てきたら、「また馬鹿が出てきた」と思う程度がいいでしょう。
もう、馬鹿に構っているような時間もないでしょうからね。
体感的にも、合わない人間とは二度と合わない状態になっているところまで来たと思います。ゾンビになってしまった人とは相容れることは二度とない。目覚めれば可能性はあるかもしれないものの、はたしてそんな可能性があるのだろうか。
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