精神性

他者への怒り=かつての自分の姿

精神性

今の時代、他者に対して内心怒りに満ちている人は多いはずです。

自分もその一人ですけどね。

その理由は「他者の姿が、かつての自分の姿だから」という理由だからです。

どういう意味だ?と思うでしょう。

それはこういうことです。


自分が成長して通過したことだが、目の前の他者にかつての自分がいて、その姿を見て怒りを感じていると。


そこで自分の感情を理解できれば、成長できる要素になります。
なんで自分はこんなに不愉快で怒っているんだろうと。

かつて、自分が同じだったということ。
だからこそ、それが目の前で見えているのと、「どうしてこの程度のことをまだやっているんだ!」という感情です。

冷静に見ていくとこうなります。
他の人がこういう状態だったということで、自分にも当てはめてみるとそういうことだなと理解しました。

例を挙げると、職場において無駄に喋っているだけで仕事を全然やってない人間に対していら立ちを覚え、そういう人間を見て「カネ貰ってるんだから仕事しろ!」と思う。
それは、自分自身がそうじゃなかったという思いもあれば、そういう面が出ていることがあったということ。結局自分自身だったということです。自分自身が目の前で全部演じていると。

役者すべてが自分で、役目が違うだけで全部自分。
そう考えると「あ、そうか」と腑に落ちることもあるでしょう。一人何役で、自分の周りで演じているだけ。

真っ当に生きてない、そういう人間を見ると余計にイラつくというのも、そういうこと。
だからこそ、いまだに嘘に騙されている人間を見て、騙されている内容で恐怖したりしているのは、エゴに翻弄されているという意味でイラつくわけです。

ましてや、2025年7月詐欺も同じで、エゴに囚われている人間はここで全員死ぬと思い込み、情報通の人が疎開もしないのが気になるとか言ってしまう。
エゴで反応してる人間は見抜きやすいし、そうやって表に出してしまうのも役者のようなものです。

ならどうすればいいかと言えば、ほっとけばいい。
今自分にできることをやって、どう生きたいかを考えればいい。







ただ、正直、今の時代はもう完全にそういう役目になっているのと、魂自体がそういう選択肢をして生まれてきているということを考えれば、もはや嫌なら立ち去るという選択肢を視野に入れて前に進むべき時なんだと思います。

それがたとえ厄年だなんだとか言われようとも、必要なくなったら手放さないといけない。
それが人間であろうとも、相容れないと分かったら離れるしかない。

ストレスになる方が体にも悪いし、合わないものといるというのは苦痛ですから。
我慢してまでそこにいる必要なんてないんですよ。いられるならいればいいけど、そうじゃないなら動いていい。それも選択肢です。

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