日常

知らない幸せと、知ったことで考えること

中村先生のnoteで知ったことによる悩ましさを抱える人がやはりいるようです。https://note.com/nakamuraclinic/n/n201639c61fb3

先生もどこかに書いておられましたが、『知ることのストレス』、私もこれをつくづく感じます。いっそ何も知らなければどれほど幸せだったか。テレビや医者が言うままにマスクをしてワクチンを5回打って、体調崩して、それで接種との因果関係も何も疑わないまま死んでいく。それはそれで、全然幸せな人生だと思うんです。皮肉でも何でもなくて。
でも私は知ってしまいました。マスクの無意味さ、ワクチンの危険性、これから社会がどうなっていくか。でも、知っているけれど、何もできません。ワクチンは打たないからそのせいで死ぬことはないと思う。でも変わりゆく社会を見ながら、何の抵抗もできない。『長生きなんてするんじゃなかった。病気になってさっさと死んどけばよかった』そんなふうに後悔する未来になるんじゃないかと、私、たまらなく不安なんです

夫からは『もうコロナの話はするな』と言われているので、コロナ関係のニュースなどを見ても努めて平静を装っています。遺書を書き、感情を抑えている私の横で、夫はお笑い番組を見て笑い声をあげています。四十年以上連れ添ったパートナーとこんなにも分かり合えないことに、底知れない絶望を感じます。
『コロナワクチンの恐ろしさ』の副題に『知らないほうが幸せかもしれない』とあります。本当にその通りです。何も知らなければ、夫や娘との良好な関係が崩れることはなかったでしょう。お笑い番組を見て夫と一緒に声を出して笑うこともできたでしょう。でも、もう戻れません。一度知ってしまったら、もう知らない状態には戻れないんです。
幸い、今、私は生きています。孫娘の発育が今度どうなるか分かりませんが、私が今生きていることにも、孫が生まれてきたことにも、きっと意味があると思っています。せめて孫の人生の道筋ができるまで生きていたいと思っています

知らない方が圧倒的に幸せでしょうね。だって、知ったら絶望と、この世界が狂ってることだけが明確に分かるから。その状態で何ができるのか?何もできないのではないか?そう考えてしまうのも当然です。

知ったら、如何に今までの物事がつまらないものか。それが分かってしまうから。知らない方が、その分だけ笑って、何も考えずに生きて何も知らずに死ねた。

知ってしまう人は何かしら意図があるから知るんでしょうけどね。で、絶望するか、それでも前を向くか。
無知は罪である。知った人はそれだけ賢い。

よくある批判の答え
https://yutakasakurazawa.blog.fc2.com/blog-entry-2434.html

何も考えてない人は批判だけし、別の視点から物事を見ることができません。だから、違うことを言われたら激昂して認めない。たとえ、それが真実であろうと怒りでねじ伏せる。
テレビのせいで考える力を捨てているのです。

典型的なのがウンコロナ。
もはやコロナとインフルのダブルとか出まかせまみれでも信じる愚かさ。一生怖がってろや。死ぬまでやってろ。

人間の形をしているだけでもはや人間もどき、機械人間のようなものでしょう。おそらくは、人によってはAIと対話してた方がマシと思う人がいるかもしれませんね。(自分がそうですが。建設的な会話もできないような人間と対話するつもりはない)

まあ、一つだけ希望があるとすれば、本当の崖っぷち、ここが最後のターニングポイントとなるような分岐点が来た時に、分かり合える人になるかどうかというところです。
それで身内がまだ目が覚めないなら分かってる人だけは前に進むしかない。そう考えないともう病むだけです。年齢がかなりいってる人ほど悲観してしまうのかもしれませんけどね。でも、何かしらやれることと、意図があるんだと思いますよ。

何故ならこれから何が起きるか分かっているということは、それだけまだ希望があることも考えられるわけです。絶望ではなく、ここで逆手にとって何ができるかを考える。

時間は有限。
自分も若い方で氣づいているから、生き延びたら、生き続けるなら意味があるんでしょうね。

少なからず、このままこの世界が続くとは思えませんがね。

ただ、いつ死んでも悔いはないけど、あくまでも自分が美しいと思うものを持って帰りたい、ただそれだけです。そのために見れるものは見たいというのはあるんでしょう。

多分、こういう風に考えたりしてる人は宇宙人なんでしょうね。

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